2011年5月、140字のちいさなおはなしを投稿するものとして、『おはなし手帖』を始めました。
東日本大震災では、住んでいた町は、川を境に海側が津波の被害がありました。
私が暮らしていたのは陸側でした。
津波の被害や大きな火災を目にしたり伝え聞いたりして怯えながらも、私自身も家族も直接の知人も無事という、非常に恵まれた状況でした。
震災がなければ、5月には宮城から神奈川に引っ越す予定で準備を進めていたところでした。
経験したことものない地震の揺れ、それだけでもひどいショックで、いまだに大きめの地震が起こると足がすくみます。
それだけでなく、日々もたらされた津波の被害の状況、原発事故のこと。
亡くなる人と生きている人に、どちらにも理由はなく、原因もなく、いい人も悪い人もなく、ただ地球の圧倒的な力があるだけだと思わされました。
当時職場に泊まり込んでいて、会議室のような場所で、遠くに働いている仲間の気配を感じながら仮眠する時、生きていることと死ぬことの違いはなんだろうかと考えたのを今も覚えています。
そのとき結論として思い至ったのは、自分の持っている力をみんな使ってチャレンジするのが生きるということじゃないかと。
それで、なにかやりたいと思いついたことはちゃんとやりきろうと考え、生きる向きを変えました。
それまで、古くからの友人にだけ時々見せていた創作物を、外に出して挑戦していくことを決めました。
それが、Twitterで『おはなし手帖』という物語の投稿を始めたきっかけでした。
2011年6月11日に『3月のくじら』という、海をめぐるくじらのおはなしを書き、毎年3月11日に、その日その時感じたことを『3月のくじら』として即興しました。
これは何も思いつかなくなったらやめようと考えていましたが、何かしら感応することはあり、10年を超えて続いたことは感慨深いです。
もともと、限られた人にだけ見てもらっていた文章や創作物だったので、誰もみてくれなくて当たり前、反応がなくて当たり前と思って、それでもやってみたいことだから挑戦してみるという形で始めたことでしたので、投稿したツイートに、いいねをくださったり、返信してくださったり、リツイートしてくださったり、そういう応答をくださった方がいらっしゃったことは、とても大切な思い出です。気にかけていただいてありがとうございました。
本当にありがとうございます。暗い夜の道で、懐中電灯がチカ、チカ、と光るような、そんな心地でした。
さて。思い入れのある『おはなし手帖』ですが、Twitterでの投稿を9月で終わりにしようと決めました。
安心して創作物を投稿できる環境ではないように感じています。
つながりがなくなってしまっていいのか? 後悔しないか? と考えました。なにを選んでも後悔はあるだろうと思います。
だから、やめるならば、やめたことが何かしら意味のあることになるよう、また心を使っていこうと思います。
今夜は満月、中秋の名月です。
おはなし手帖の向こう側で、懐中電灯をチカチカさせてくださった皆様の上にも、まんまるいお月さんが浮かんでいることでしょう。どうぞお元気で。どうもありがとうございました。
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