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コップに水を汲んだら くじらが泳いでいた
まさかと思い 浴槽を見ると くじらがいた
そういえば 明け方の夢のほとりにも くじらがいた
「海はあなたの内にも満ちていますから わたくしはどこにでもゆけるのです」
星をすくい 空へかえすくじら
わたしの内にも 沈んだ星があり それを見つけて 空へかえすのだ
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今年も今日という日が来ました。
今年も「三月のくじら」を書きました。
これは2011年6月に、やりきれない思いを、海の王様のくじらに託したのがはじまりです。
広い海を泳ぐくじらなら、きっと見つけてくれる。
そう思いました。
私の住む町は、川をはさんで、津波がおしよせたところと、無事だったところに別れました。
「たまたま」私はまぬがれたのだと思いました。
川のこちらと、むこう。もしかしたら、その日むこうへ行っていたかもしれない。
私も死んでいても不思議はなかったから。
悪いことをしたひとが死ぬのでも、よいひとが死ぬのでもなく、どうしようもない力で、事態が起こってしまう。
あのころ、「どうして私なんかが生きていて、大切なひとをもっているひとが亡くなってしまったんだろう」とさえ考える夜がありました。
そうすると、じゃあ、生きてるってなんだろう?
どう生きたら、亡くなったひとに、顔向けできるんだろう?
そんな風に考えるようになりました。
きっと、亡くなった方は、最期まで生きるためのチャレンジをしたはずです。
ものすごい努力をしたはずです。
だったら、私も生きている間は、チャレンジをしよう。
そう決めました。
それで2011年5月に始めたのが、twitterでちいさなおはなしをつぶやく、「おはなし手帖」でした。
あれから7年です。
私の暮らしはずいぶん変わりました。
チャレンジをしている?
ちゃんと生きてる?
海のむこうからか、どこからか、そう問われている気がします。
「今日」という日。
もし何も感じないなら、言葉が浮かばないなら、「三月のくじら」は潮時なのだと思います。
でも、今年もくじらは泳いでいて、身の回り、すぐそばにいました。
今日からまた一年。
しっかり歩いていきます。
私も、生きているかぎりは、チャレンジをします。
だれもがきっとそうしたように。